こんにちは。
横浜市ハピネス老人ホーム・介護施設紹介センターの木村です。
今日は昨年12月に亡くなった私の祖父についてお話したいと思います。
私の祖父は大正15年生まれの京都育ち。高等学校の数学の教師をしており、校長先生もやっておりました。
とてもお酒が好きで、「給料日になると家に帰ってくるまでにお給料は飲み代で無くなってた」と祖母が言うくらいでした。
お酒を飲むと、とても気性が荒くなり暴言の数々…小さい頃は酔っぱらっている祖父がとても怖かったように記憶しています。
しかし、私の父と母が共働きだった為、私と妹をとても可愛がってくれました。静岡に旅行へ連れていってくれたり、おじいちゃんのタバコを買いに行くのについて行くと必ず喫茶店でパフェを食べたり、ドライブにもよく連れていってくれました。
私が大学生になり大阪へ出ると、いつも私の帰りを楽しみにしてくれていたようです。
60の半ばだったと思うのですがリウマチにかかり闘病生活になってからもとても元気に暮らしていましたが、70歳を超えると人工透析になりました。週3回の人工透析はとても辛かったようで、透析の日は病院から帰るとグッタリでした。家から病院までは車で20分。お迎えのバスもあったのですが、頑固な祖父はそれに乗らず、自分の車で常に通院していました。
88歳を超えるとついに車もリタイヤし、本格的に介護が必要な状態となりました。お風呂やトイレの補助はもちろん、食事をするのも一苦労でした(人工透析のシャントが手首に入っているため、うまく手首が回らなかった為です)。
ヘルパーさんも来てくれていましたが、父が熱心に介護をしてくれていました。父も母も祖母も、祖父の介護にはかなり体力的にも精神的にも疲れがでていました。去年の4月に介護の為に家をバリアフリーに構築。京都の田舎は冬がとても寒いので、お風呂にも暖房とつけたのですが…結局、2回しか使わずに祖父は他界してしまいました。
大好きだったお爺ちゃん…もっともっと実家に顔を出してあげたかった事をとても悔やんでいます。
またこの思いを世の中の高齢者の皆さまへサービスとして提供できるように日々努力していきます。
横浜市ハピネス老人ホーム・介護施設紹介センター
木村